第四十射 弓矢に関するエトセトラ #12                  「ミュージアムに行ってみた」-7

椎葉民族芸能博物館 (椎葉村)

椎葉民族芸能博物館は、椎葉村(県内No.1の面積、その96%が山林)にあります。

椎葉村の民俗文化だけでなく、九州・アジアの民族芸能に特化しています。

(椎葉民族芸能博物館紹介のHPから転載)

1.弓矢関係の展示

(1)的射

 山々に山桜が白くほんのりと咲き始める頃、椎葉の里では春祭りとして的射(まとい)が始まります。的射とは奉射神事のことで、1年の災厄を避けるために行われます。

 正月から春にかけては全国的に奉射神事が行われます.椎葉の的射はその流れを汲むものですが、ここには「神の的」という特殊な的が作られるのが特徴的です。

 栂尾(つがお)では各家の家族の人数分の的を、正月の注連飾りに使ったトビ紙を用いて作ります。古枝尾(ふるえだお)では250年間使い続けた的を使い、尾前(おまえ)、向山(むこうやま)地区では小さな紙製の的を作ります。小崎(こざき)では大的を祭壇と共に祭ったあと、弓を放ちます。弓は桃の木で作ります.的の裏には星形に紐を結びます.星形は五芒星と言っ乙陰陽師や修験者が用いる魔よけのための印です。

 不土野(ふどの)では桃の弓と茅の矢を用います。桃の弓・茅の矢・星形の紐、これらは全て魔よけのための用具なのです。ここでは戦前頃まで千矢の立願と称しとして、病気平癒を祈り願が成就すると千本の茅の矢を的に射る儀式がありました。

 神の的の儀式のあとには、村人全員が的射を楽しみます。とは言っても、古くからのルールがあり、複雑な作法もあり口上が飛ぴ交います。春節(はるぶし)や的射節(まといぶし)などもこのときに歌われるのです。

 春祭りは、家族や村に1年間災いが来ないように祈願をするための祭りなのです。

(的射の展示説明から)

 的射は、地区によって的の形状や的までの距離など様々です。

 また、ハレ(晴れ:お祭り)の時ばかりでなく、ケ(褻:日常)の場でのリクレーションとしても行われているそうです。

(2)神楽

椎葉の各地区で神楽が行われています。

それらの採物(とりもの・小道具)にいろいろな弓矢が登場します。

それらの弓矢が展示されています。

 

 

 

 

 

 

 

 各地の神楽では弓が重要な役割を果しています。

2.弓矢関係以外の展示等

(1)館内展示

 4つの展示室があり、椎葉の民俗文化・歴史・自然・年中行事・平家伝説・神楽・民謡などの展示の他に、九州各地や東アジアの太鼓踊りなど民俗文化・芸能の展示など興味深いです。

 

 

 

 

 

 

博物館の入口でいただいた金太郎飴ならぬ「お鶴ちゃん飴」

(2)鶴富屋敷 (国指定重要文化財)

椎葉民族芸能博物館のすぐそばです。

 

鶴富姫の恋物語

1185年(今から約800年程前)、壇ノ浦では、平家と源氏の最後の戦いがくり広げられておりました。

壇ノ浦の戦いで平家は全滅、生きながらえた者は全国各地へと逃げてゆきました。

ある一行は、けわしい山を越え、肥後阿蘇路を経て山深いここ椎葉へとたどり着きました。

 

 いつしかこの事は敵方(源氏)に知れ、源頼朝の命(追い討ち)を受けたのは「扇の的射」で有名な那須与一でしたが、与一はこのとき病気にかかっており、代わりにその弟那須大八郎宗久((なすのだいはちろうむねひさ・当時22)が、平家の落人(おちうど)を追って軍勢を率いこの椎葉を目指します。

 

 ようやく椎葉にたどりついた那須大八郎がそこで目にしたものは、戦う気持ちを忘れひっそりと農耕をやりながら暮らす平家一門の姿でした。

 

 那須大八郎は、追討を断念「椎葉の平家の残党は一人残らず討ち果たしました」と幕府に偽りの報告をします。

その後、那須大八郎はこの地に屋敷を構え、この場所で生活していこうと決めたのでした。

平家の落人達と共に生活するようになり、やがて、平家の鶴富姫と出会い、二人の間に恋心がめばえます。

二人は源氏と平家のかたき同士、しかし大八郎は愛する鶴富姫と生涯をともにすることを決め椎葉村に永住することを決意します。

 

しかし、ある日、幕府から「すぐに兵をまとめて帰れ」との命令がおります。

このとき、すでに鶴富姫のお腹には大八郎の子がやどっておりました。

大八郎は命令に従い戻らねばなりません。

椎葉の地を離れる日、大八郎は鶴富姫に「生まれてくる子が男なら私の故郷へ、女の子ならこの地で育てるがよい」と言い残し、刀(あまくにの太刀)と系図を渡し椎葉村を後にしました。

 

その後、鶴富姫は出産、生まれた子は女の子でした。

母となった鶴富姫はその子を大切に育て、その子が成長すると婿(むこ)を取りました。

そして、愛してやまない大八郎の「那須」の姓を名乗らせたといいます。

この大八郎と鶴富姫の住まいが、この家であったといわれています。

(Photo Miyazaki 宮崎観光写真から)

ここで野暮と知りつつも一言。

那須大八郎と鶴富姫のロマンスは約800年前。鶴富屋敷は建築技術を推察すると竣工は約300年前。時代的には若干無理がありますが・・・。この同じ場所でということで・・・まぁ・・いいか!!。

(3)椎葉厳島神社

 

博物館を順路に沿って外へ出るとそこに椎葉厳島神社があります。

壇ノ浦の戦いで破れた平家一門討伐の命を受けた那須大八郎宗久が、椎葉山中での平家残党の叛意のない姿を深く哀れんで、平家尊々の安芸の宮島、厳島神社の守護神を勧請し建立したものとも言われています。

 

那須与一の関係者に関わる神社ですが、弓に関係のある御利益ではなく「良縁」「夫婦円満」「子宝安産」「健康」等だそうです。

大八郎と鶴富姫が由来の神社ですから、そうなりますよね。

でも、最後には分かれさせられています。・・・・・・・

なかなか微妙です・・・・・・・・・・。

(4)上椎葉ダム

日本で初めてとなる100メートル級の大規模アーチダムです。その技術は後の黒部ダム建設に大きな影響を与えています。

ダムによって形成された人造湖は小説家・吉川英治によって日向椎葉湖(ひゅうがしいばこ)と命名され、2005年(平成17年)に地元・椎葉村の推薦によって財団法人ダム水源地環境整備センターよりダム湖百選の認定を受けています。

ここでの工事は難工事で105名の殉職者を出す結果ともなりました。

完成時、ダムの畔りには彫刻家富永朝堂の作による仏教・キリスト教・水神の3女神像を建立した「女神像公園」が整備され、公園内に慰霊碑が建立されました。

(5)クマタカ

おまけです。

いつでも見られるとは限りません。むしろ、めったに見ることができないと思います。

 

博物館へ行く途中で遭いました。

絶滅危惧IB類 (EN)=簡単に言うと、とっても珍しい。

やったね!!(^o^)v

かなり近くで、遭遇しましたので羽を広げた時などは、すごい迫力でした。

 

ワシ・タカ類はかっこいいですネ。

 

撮影はガラ携です。しかも後ろ姿。 (^^);

「見返りクマタカ」とでも言いましょうか。

飛んでいるところ(?)です。

羽の先っちょが写っています。見事なピンボケです。

次は、ちゃんとしたカメラを持って会いたいです。

もっとも、そんな時は大体、会えませんが・・・・。

 

話は違いますが、羽、分けてくれないかなぁ〜。

 2017/08/28

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